特集 第4回 レアルエキップフェスティバル FUN PEOPLE PHILOSOPHY Event inside column 挑戦 スーパーモタード! ウーマンズリーグへの道
楽しんでる人、がんばってる人、遊んでる人。レアルエキップが出会ったこんな人たちに接近!
HOME
バックナンバー

    

内山泰臣 Yasuomi Uchiyama

今年の目標はダイエット!?
昨年2勝を挙げて、今シーズン本格的にデビューしたアップカマーの素顔に迫る!


1980年12月7日生まれ。兄の裕太郎とはふたつ違いだ。

■内山ファミリー

  2006年のJNCC本栖ラウンド。表彰台の一番高いところに立ったのは、赤ゼッケンではない、Aクラスのアップカマーだった。ライダーの名は内山泰臣。トップエンデューロライダーの内山裕太郎を兄に持つ、内山ファミリーの次男だということを聞いて、なるほどと思った人も多いかもしれない。子供の頃から天竜川、池の平の難コースで鍛えられてきた。そのライディングフォームには、どこか兄弟に共通するものがあると感じる人もいるだろう。今年からチームレアルエキップの一員として全国を転戦、まずはランキング上位を狙う。

■小学生でデビュー しかし、やがてレースを離れた

  オフロードバイクとの出会いは幼稚園の頃だが、当時は「バイクの音がどうしてもイヤで、それっきりになっちゃいました」という、意外にデリケートだった幼少時。父、そして兄の裕太郎がライディングを楽しんでいるのを横目で見ていたが、小学校4年生になって、ヤマハPW80というバイクが裕太郎のお下がりで回ってくると、ようやく泰臣のオフロードバイクライフが始まる。3段変速のキッズ用モトクロッサーで、天竜川、現在も第2東名高架下に残っている河川敷コースを夢中になって走った。やがて、これも裕太郎のお下がりでKX60が与えられてレースデビュー。地元の草レース、KAZEカップというイベントに参加。フルサイズのマシンに乗れるようになると、池の平や本栖のスクランブルに参加するようになった。兄の裕太郎を中心にした内山ファミリーのレース活動、その中に泰臣もいた。しかし、1999年を最期に、泰臣のレース生活は中断する。
  「なんか、普通にまわりの仲間たちと、酒飲んだり、合コンに行ったりとか、いい加減な感じで遊んじゃってたんですよねー」。
  子供の頃から、傍らにごく自然な存在としてオフロードバイクがあり、その延長にレースというものもあった。バイクから離れるというよりも、みんなと同じようにいろんな世界を知りたいという、若者にとっては自然な興味がそうさせたのだろう。日本のあちこちを旅するのも楽しかった。
それでも池の平ワンダーランドのコースが閉鎖されると聞いたときには、最期のレースに駆けつけた。「なくなっちゃうって聞いて、なんか無性にさみしくなっちゃったんですよ。やっぱり子供の頃から通ってたし、楽しい思い出があったのかもしれないですね」。2000年から2005年までの間、走ったのはその池の平のラストレースのほか、AAGPに一度エントリーしただけだった。


■お兄さんにはかなわない。だからバイクをやめたんだろ?

 
  スキーリゾートのペンションでアルバイトをしていた時、そこで出会ったインストラクターの一言が、泰臣の心に再び火をつけた。「君は結局レースじゃお兄さんにかなわない。だからそこから逃げてきたんじゃないのか? そう言われると、なんだか本当にそうなんじゃないかって気がして、このままではいけないな、なんとかしなくちゃいけないって、その時は思いましたね」。リゾートでのアルバイトが終って、今度は南へ向かった。TW200に荷物を載せて沖縄へ…。「島の海沿いの道を走っていたらなんかつまらくなって、山道へ入ってみたら、やっぱりオフロード面白くって。よし、帰ったらまたバイクに乗ろうって思ったんですよ」。
  静岡に帰ると、本格的に全国のレースを転戦している裕太郎が「運転手をするなら新潟へ連れて行ってやるって言ってくれて、やったー、タダで新潟にドライブにいけるやー。なんていって、喜んでついていったら、それがJNCCのレースだったんですよ。

2006年のCROSS-1夕張ラウンドにて。

そしたら、知っている人がいっぱい走っていて、楽しそうだし、かっこいいし、うらやましくて…」。くすぶっていたものが爆発した。レースが終って静岡に戻った泰臣は、ガレージにこもって、眠っていたレース用のバイクをいじり始めた。「寝ないで全部バラバラにして復活させました」。まずは赤ゼッケンだ。トップカテゴリーのAAクラスのライダーになることを目標に練習を開始。「昔とったキネヅカでちょっとは乗れたけど、メロメロでした」。それでも完全にライディングを忘れていたわけではなかった。

夏の北海道では農家でアルバイトしながら各地のレースに出没した。夕張ではAクラス優勝。

2006年には、北海道の日高や富良野のスイカ畑で働きながらライディング修業。滞在中に参加したCROSS-1夕張大会でクラス優勝、そして前述のJNCC本栖大会ではAAクラスのライダーもしのいで総合優勝と、みるみる頭角を現すことになったのである。


■そして再びトップライダーへの道 目指すのは日本代表

 レアルエキップのサポートを受けてニューWR250Fを走らせる今年は、さらに緊張したシーズンになる。目標は、JNCCでランキング6位以内、そしてMFJの全日本エンデューロでは10位以内を目指す。しかし、「できれば2008年のISDEギリシャ大会の日本代表メンバーに選ばれたい。だからMFJも6位以内…」と考えている。現在ところ、JNCCの第1戦が5位、第2戦は7位。MFJ全日本のSUGO開幕戦では、初日9位、2日目10位だから、目標は少し遠いと言えるだろう。課題はスピード。「それとダイエットですね。ははは。おなか出ちゃってるから…。マジでがんばらないと」。フラットでハードな路面でのスピードも足りない。

今年はニューWR250Fレアルエキップスペシャルをライディング。ローダウンサスペンションチューニングが施されたコンプリートマシンだ。



JNCCプラザ阪下にて。

JNCCでは開幕戦からハードパックが続いていることも不振の理由だ。「自分では意識していないけど、みんなに比べるとガレ場や、滑りやすい路面は上手いみたいなんで、やっぱりスピードですね。モトクロスコースでも速く走れるようになりたい。今年はもっと速い人たちとたくさん走ってスピードつけます」。昨年、ISDEのニュージーランド大会には、日本代表のワールドトロフィチームの一員として走る裕太郎を、父とともにサポートした。そこで見たトップライダーたちの走りにも衝撃を受けた。「みんなすごすぎてびっくりしました。バイクってこんな風に走れるものなのかって…」。少しでもその走りに近づくことができるだろうか。


■そして再びトップライダーへの道 目指すのは日本代表

 いつも自分の数歩先を歩いている兄、裕太郎の存在は、再びレースに打ち込むようになった今、より大きなものになっているかもしれない。「裕太郎が近くにいてくれるので、環境は最高です。バイクのことやレースのことをすべて教えてくれるし、面倒も見てくれるから…。ライダーとしては全然違うタイプですよ。っていうか、ぼくなんか全然だめだし…。裕太郎は、どんな状況になっても絶対に焦ったりしないで、自分のライディングができるし、レースの組み立てもできるライダー。ぼくはホントにめちゃくちゃで、なにかあるとすぐに焦っちゃって、とっちらかっちゃうし…」。しかし、一方で内山裕太郎は、泰臣のことを「今は取り組み方がテキトーだからダメだけど、本当はぼくもよりもずっとセンスがいいんですよ」と、以前に話していたことがある。ノッている時は3時間のレースでもまったくペースダウンしないで、そのまま表彰台の真ん中に立ってしまう。昨年の2勝もそんなパターンだったし、そんなふうにノッている時の泰臣のライディングフォームは、実は、裕太郎にそっくりなのだ。

笑顔が絶えないキャラクターでレース会場では人気者!

トップカテゴリーへとステップアップした今年は、果たして一勝を挙げることができるだろうか。そして兄弟揃って日本代表になる日も遠くはないのかもしれない。
   
このページの上部へ戻る
SITE MAP Copyright (C) 2007 Trial promotion All Rights Reserved.